スニーカー好き垂涎の一冊、70年代に発行された『スーパー・スニーカー ブック』の話をしよう。
前回のブログで書き忘れてしまった話をしたいと思います。アシックスの本社のアーカイブ室やアシックス スポーツ ミュージアムで同社の歴史的な靴をいろいろと見せてもらった中で、オニツカタイガーの「マジックランナー」に見覚えがありました。創業者・鬼塚喜八郎氏がバイクの空冷エンジンをヒントに製作した靴で、ランナーが足底にマメができるのを防いでくれた世界でも稀有な「魔法のシューズ」です。
自宅に戻って書棚を探していたら、その「マジックランナー 」が表紙になった書籍が出てきました。『The Super Sneaker Book ズックは話しかけている』です。この本は、1978年に日本のクイック フォックス社から出版された書籍で、当時、ニューヨークの広告エージェンシーの社長であったキャロライン・A・ジマーマンさんが書いたものです。
改めてこの本を見ると、カバー写真を撮ったのは有名なフォトグラファーの三浦順光氏。表紙はたぶん日本で撮られたものと推察できます。さらに今回の『Pen』で撮影した「マジックランナー」の写真と見比べてみると、アッパーのサイドに入ったオニツカタイガーのロゴが違うこともわかりました。アーカイブ室で見せていただいた「マジックランナー」は筆記体のロゴでしたが、こちらはブロック体です。もしかしたら製作年度が違う、あるいはバージョン違いかもしれません。
邦題は『ズックは話しかけている』と題されていますが、この本を監修したひとり、松山猛さんが第1章を書かれています。「スニーカー」という言葉が一般に使われ出したのは1970年代。その前は、この種の靴は日本では運動靴かズックでした。私もズック、ズックと呼んでいました。私の住んでいた街は靴屋さんはなく、運動用のズックは近くにあったお米屋さんで買った覚えがあります。
脱線してしまいました。本の話に戻りましょう。この本のアートディレクションをしているのも日本人の方ですし、イラストレーターにも河村要助さんや吉田カツさん、中山泰さんなど、有名な方が起用されていますから、原書は知りませんが、たぶん日本で編集を加えた本なのでしょう。
第2章の「街を歩けばスニーカーに」では、ロスのアナハイム球場で行われたザ・ローリングストーンズのコンサートの写真が載っています。ミック・ジャガーが歌う舞台には観客から投げ込まれたと思われるスニーカーがゴロゴロと転がっています。アディダス のSLシリーズを履いたキース・リチャーズの足元に転がっているのは、なんと「トレトン ナイライト」と「ジャック・パーセル」ではありませんか。ウディ・アレンはタキシードにバッシュ(ブランドは不明)を合わせているし、テニスのビヨルン・ボルグはまだ「トレトン」を履いています。
スニーカー本と言っても、日本流のカタログ形式や解説本ではなく、基本はエッセイ集のような形式ですが、それでも当時のスニーカーに関する社会的な状況がわかります。前述のように写真を見るているだけでも楽しい。当時の代表的なスニーカーも紹介されていますが、クレジットに「アム・スポーツ・フットウェア」が入っていますからこれも日本で撮影されたものかもしれませんね。ご存知の方も多いかと思いますが、「アム・スポーツ・フットウェア」は銀座4丁目のアメリカ屋靴店の3階にあった同社の系列店で、インポートなどを含めて多くのスニーカーを扱っていましたから、この本で掲載されているスニーカーはそこで借りたのでは。オニツカタイガーからは「モントリオール」が1ページ大で紹介されています。
この本を靴好きの友人に贈ろうと、某通販サイトで探しましたが、残念ながらヒットしませんでした。興味がある方は古書店などで探してみてはどうでしょうか。
ついでにスニーカーに関する雑誌の話を。『The Super Sneaker book』が発行された前々年の76年の冬に発行された『ポパイ』創刊第3号にスニーカー好きならば忘れがたい記事が掲載されています。
当時、アメリカでもっとも権威があったランナーズマガジンであった『ランナーズ・ワールド』の話です。この雑誌は年1回、トレーニングシューズの機能などを分析し、ランキングを発表しているのですが、77年度版のシューズランキングを元にした話が2ページにわたって載っているのです。
77年度版で1位を獲得したのは、「ニューバランス320」。3位に「305」、7位に「220」、24位にも同ブランドのスニーカーがランキングされている。写真をよく見ると、「ニューバランス」のシューズはどれもでもまだ、サイドに「N」のマークが入っていませんし、「1000」番台のシューズも発表されていません。もちろん当時、「ニューバランス」は日本では未発売。六本木に並行輸入で「ニューバランス」を販売している店がありましたが、ガラスケースに入った「320」は、4万円近くしていて、とても買えない、まさに垂涎のシューズでした。
ランキングに戻ります。2位には「ブルックス ヴィラノヴァ」、5位「ナイキ LD-1000」、6位「ナイキ ワッフルトレーナー」、10位に「ナイキ ナイロンコルテッツ」と当時でも人気があったナイキ 勢が入っています。「アディダス」 は11位に「SL-72/76」、20位に「ランナー」が。オニツカタイガーももちろん入っていますよ。21位に「グランプリ」、23位に「モントリオール」。56位に「モンタレー」、57位に「コルセア」、58位に「バンコック」が入っています。同誌は、いったい何位まで発表していたのでしょうか。
確か私の乏しい記憶では、この翌年かその翌年には「ブルックス 」勢がランキングの上位を占めたのではなかったでしょうか。
『ランナーズ・ワールド』が毎年発表していたこのランキングはまもなく大手のスポーツメーカーからの反対にあり、ランキングではなく、5つを上限とする星取り制に変わったと記憶していますが、手元に『ランナーズ・ワールド』がないので確認できません。
前述の『The Super Sneaker book』でも最後の章で「君にピッタリのスニーカーはどれ?」と、ランニングからバスケットやテニスシューズまで、トレーニングシューズのランク付けが掲載されていますが、イラストのスニーカーやラケットなどの数でそれを表現しています。
長くなって恐縮ですが、自称スニーカー友の会の私としては、スニーカーの話をしだすと、止まらないのです。